しがない社畜の話

公僕社畜ちゃんのお話です

悠達の備忘録 その5

更新が久しぶりになりました。

少し現実の方がバタバタしていたのでかなり間が空いてしまいましたが引き続き10月から12月まで前回の続きを述べたいと思います。


体の調子がおかしくなり始めたのが11月上旬。そこから心が壊れるまでそう長くはありませんでした。その人がいるだけで嫌悪感はたまらないものでしたし、周りは見て見ぬ振り。誰も助けてくれなければ声もかけてくれません。当然職場に行くのが憂鬱になり恐怖になりました。


健全な時はそんなことないだろうと思っていましたが初めて線路に飛び込めば楽になれるだろうにと思い、その辺の道端で倒れれば誰か助けてくれて入院できるだろうにと思ってしまいました。ここまで来たらもう限界でした。


11月の最終週、月曜日から水曜日までひとまず上司に相談し休むことになりました。ただそんなもので治るなら最初から困らなかったはずです。休み明けの木曜日、通勤途中の電車で吐き気が止まらず途中下車。もう無理だと泣きながら母親に電話しました。その日は何とか職場に行きましたが正直何をしていたかは覚えていません。一つだけ覚えているとすればあの甲さんが私に謝罪してきました。今から考えてみると結局は形だけの謝罪でしたがその当時の私にとっては驚きそのものでした。これで少しは良くなるのかなとも思っていましたがそう簡単ではありませんでした。


一度壊れてしまった歯車は元に戻りません。心も体も良くなるどころかむしろどんどん悪化していきました。


そんな時に唯一私に救いの手を差し伸べてくださる方がいらっしゃいました。その人(乙さんとでもしておきます。)は見るに見かねた私の状況に対して病院を紹介してくださいました。普通は初診の予約が中々取れないそうですが乙さんのご尽力もあり12月の初旬に初めて病院にかかりました。


当然ですが「うつ病」と診断されました。それでもそこから年末までの1か月、正直生きているのか死んでいるのか分からないような状況で薬を服用しながら勤務していました。この12月は何をしていたのか、仕事はもちろん休日でさえ思い出すことができません。恐らく頭の中がごちゃごちゃになって働いている状況で日々を過ごしていたからだと思います。


この頃から徐々に自身の行く末というものを考え始めました。ここに居て自分の思い描いているようになれるのか、そもそも生きていられるのかと。その上でここで無くとも良いのではないか、むしろここにいる理由は何なのか自問自答の日々でした。うつ病の薬と睡眠導入剤を服用していても一向に調子は良くなりません。何とか年末を迎えることが出来ましたが正直もうボロボロでした。


次に続く