しがない社畜の話

公僕社畜ちゃんのお話です

悠達の備忘録 その7

みなさんこんにちは。

前回から間が空いてしまいました。前回までは勤め始めてからの変遷をたどって参りましたが今回はその後について少しだけ述べるに加えて、とある一つの言葉について考察を加えたいと思います。


さて、前回までは休職に至るまでのお話でした。休職に至った後はとある試験に向けた勉強を本格的に開始しながら体調を整え、まずは普通の生活を送れるようになることが目標でした。最初の1,2週間くらいは仕事についてまだ考えてしまいどうにかなってしまいそうでした。ですが徐々に気力体力ともに復活してきました。ここで自分にとって幸運だったことは試験に合格するという明確な目標があった中で生活を送れたことだと思います。何もしないでぼーっと過ごすというのは休み始めた当初は楽でした。ただ何もしない時間というものはそれはそれで苦痛に感じる部分や焦りといったものもあったので明確な目標を持って過ごせたからこそ徐々にではありますが色々なものが回復してきたのだと思います。


そんなこんなで試験関係が先月6月まで続いていた中、職場でも変化がありました。大幅な人事異動です。その中でトップが変わり面談をすることになりました。そこで言われた言葉について後半では私なりの見解と職場に馴染めなかった根本的原因を探りたいと思います。


それは「もったいない」という言葉です。「今ここで簡単に辞めてしまうのは君の力からしてももったいないしうちの会社としても損失だ。」もしこれを読んでいるあなたがこの言葉をかけられたらどう思うでしょうか?純粋に評価されているのだなと思う人もいるでしょう。しかし私にとってこの「もったいない」という言葉こそ腑に落ちない、いわば理解できない言葉なのです。


他人にもったいないという時どのような文脈で使うのが適切なのか非常に難しいと感じます。それは私自身が、私の「人間性」を理解した上で本気で「もったいない」と言ってくださる方ならまだしも、「経歴」や「数字」だけを見た人が「もったいない」と言ってくることにひどく抵抗感を覚えるからです。思い返してみると「もったいない」と言われたのは高校時代からでした。大学受験時に担任の先生から「悠達の力ならX大学も行けるのに本当にいいのか?もったいないと思うぞ。」と言われました。この時は特に何とも思いませんでした。ですがこれが決定的に意識されるようになったのは就職活動の時でした。


後半へ